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ゴッホ作「タラスコンへの道を行く画家」追加展示

ゴッホ「タラスコンへの道を行く画家」
1888年アルルにて制作 1945年消失
大塚国際美術館は、第2次世界大戦の最中、数奇な運命をたどり消失したゴッホ唯一の全身自画像「タラスコンへの道を行く画家」を陶板で原寸大に再現し、2018年11月3日より一般公開、常設展示いたしました。
 
この作品は、旧東ドイツの都市マグデブルクのカイザー・フリードリッヒ美術館(現マグデブルク文化歴史博物館 )が所蔵しており、第2次世界大戦末期の1943年、空爆を逃れるために地下460mほどの深さにある巨大な岩塩坑に避難させました。その後、アメリカ軍によってこの地は解放されいくつかの作品は発見されましたが、この作品は見つかることなく、こつ然と姿を消してしまいました。1990年の東西ドイツ統一まで東ドイツ領域であったことから、行方を探すことすら許されず、現在は岩塩坑に入るのも危険なため、これ以上の地下探索をすることは不可能とされています。

大塚国際美術館が失われた名画を再現するのは、2014年に再現したゴッホの幻の「ヒマワリ」 以来、今回で2作目。陶板名画は色彩が褪せることなく半永久的に保存できることから、原寸大での鑑賞体験はもとより文化財の記録保存の在り方に大いに貢献できればと考えています。

作品「タラスコンへの道を行く画家」とは

1888年、パリからアルルに移り住んだゴッホは、小高い丘の上に立つモンマジュール修道院とその周囲の風景に魅了され「この地を50回以上訪れた」と弟テオへの手紙に記しています。この作品に描かれた自画像は、当時の住まいである通称「黄色い家」から、タラスコン街道を通って、修道院へとスケッチに出かける途中の姿と考えられています。

フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)

▲ゴッホ「7つのヒマワリ」
1853年、オランダ南部の村フロート・ズンデルトに牧師の息子として誕生。聖職者を志すが挫折し、27歳の時に画家の道へ。画商の弟テオを頼ってパリへ、やがて南仏アルルへと移住。親友ゴーギャンと共同生活を始めるが2カ月で破綻。その後、精神を病みオーヴェール・シュル・オワーズで自ら命を絶ち、37歳で亡くなりました。10年という短い画家生活でしたが、その作品は多くの人に愛されています。大塚国際美術館は、2018年3月に開館20周年記念事業として、世界に点在するゴッホが描いた花瓶の「ヒマワリ」7点を原寸大で再現 、一堂に展示しています。

マグデブルク文化歴史博物館

▲外観
ドイツのザクセン=アンハルト州にある、1906年に開館した美術館。マグデブルクはかつて塩、砂糖、軍事産業で栄え、これらの事業で得た豊富な資金をもとに、市民の文化的教育に役立てようとクリムトやセザンヌの作品を購入しました。「タラスコンへの道を行く画家」はそのうちの1枚で、1912年にベルリンの画商から購入した作品です。
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