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開館5周年記念事業 「最後の晩餐<修復後>」追加展示

2003年、大塚国際美術館は開館5周年を迎えました。その記念事業として、1999年5月に修復が完了したレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の原寸大再現です。開館当初展示していた修復前の「最後の晩餐」と対面させて展示するという、当館ならではの試みが実現したのです。これにより、登場人物の表情がはっきりし、美しい色調になったことなど、修復の成果を見比べられるという比較鑑賞が可能になりました。
レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐<修復後>」 1495-98年 420×910㎝ サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院 食堂 ミラノ

「最後の晩餐」

最後の晩餐は、キリストが十字架上で処刑される前夜、ユダヤの正月にあたる過越祭を祝って十二使徒とともにとった最後の夕食、またその夕食の席で起こったことをいう。晩餐は従来、聖体の秘跡の儀式の象徴であったが、レオナルドは悲劇に立ち合う人間の心のドラマとして描いた。「この中にわたしを裏切る者がいる」というキリストの言葉を聞いて、12人の使徒はさまざまな驚き方、悲しみ方をしている。キリストは静かな山のようにピラミッド型に描かれ、遠近法の消失点は天と地の交わる地平線上にうかびあがるキリストの頭に消えている。

蘇るレオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」

「最後の晩餐」(1945~98頃)は巨匠レオナルドの代表作というばかりではなく、ルネサンス古典期様式を代表する西洋美術史上の最高傑作と云われています。

しかし、この壁画の運命はきわめて悲惨なものでした。1970年代までは、その芸術的価値もよくわからないほど画面は暗く形もはっきりしませんでした。ところどころにレオナルドらしくないタッチがあったりもしました。その損傷の理由は、レオナルドが漆喰の壁にはふさわしくないテンペラ(顔料に亜麻仁油と卵をまぜたもの)で描いたこと、教会の食堂の壁に描かれたために湿気を絶えず吸収してしまったこと、1943年に連合軍の空爆によって建物が破壊されて構造体が大打撃を受けたことなどです。そのうえ、18世紀以降、繰り返し描き直しや描き加えが行われてきました。

1977年に、ミラノの文化財保存監督局が女性修復士ピニン・ブランビッラさんに依頼して、科学的検査をもとに、画面に堆積した塵や加筆を細い筆で取り除いてゆくという綿密細心な気の遠くなるような修復作業が開始され、それが20年も続きました。汚れや加筆が取り除かれた結果、私たちははじめてレオナルドが描いたオリジナルの傑作に出合うことができたのです。その結果、いま私たちは心から、この絵が、描かれた直後から歴史に残る傑作といわれたのはなぜかを実感することができます。

この旅、大塚国際美術館が修復された画面を修復前の画面と並べて展示するということは、20世紀がようやく修復という科学によって真のレオナルドを復活させたということを示し、わたしたちにオリジナルの「最後の晩餐」の価値をはっきり知らせてくれることになるのです。

千葉大学名誉教授
川村学園女子大学教授
若桑 みどり
(2003年当時)

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